坐ること、唯識
早朝、欠かさず坐ると日々の異なった感触が、こころに響く。それは惰性では無く、深い意識へのシグナル。私たちのこころの中の末那識は己の保全、生命の保持を重視することが役目、それをジッと観ることが坐ることである。われわれは日々煩悩の世界で生き、いかに儲けたい、美味しいものを食べたいとか、楽に過ごせたいとか、そんな煩悩をこころから流し去り、無の己れと向き合うことがたいせつであり、創作への準備でもある。 ※ 右は10年間使用した坐布。
2026年10月31日
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