坐る。
ポール ゴーギャンが「 われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか 」というタイトルの絵画をタヒチで描いた。 作家が自分の正体を解明しようと思う気持ちは重要である。 なぜならば、創作の基となる要素だから。自分探し、と言う言葉が流行った様に一般にも重要視されるが 欠けてるとスパイス、塩分の無い料理の様だ。ただ、それを追求するのは難しい時を過ごす事になる。私は前に書いた様に 毎日、早朝に1柱、坐っているが 体験した方が初めは無になれた!とか、清々しいとか? 言うが 何十年も坐り続けると、雑念が次々と湧いて来る。われわれのこころは絶え間無く意識が移り変わり それが生命の存続を担っているからで 雑念との戦い、流すことが 坐禅となる。 己を判ろうと坐る坐禅だが 結果は 「 自分、判らない 」と言うのが 今の答えだ。 まだまだ修行が足りないのだ。
2026年10月9日
